山善は、経済的な理由等により、修学困難な学生をサポートすることを目的として、「公益信託山本猛夫記念奨学基金」を1992年に設立し、委託者として支援。今年度は新たに4名の学生が新規奨学生として認定され、11月17日に認定書 […]
部下と上司、人は対等 叱る・ほめるは上下関係が前提 ー仕事考ー
肩書は役割
社長や部長や課長などの肩書を持つ上司(役職)は、社内の仕事における役割に過ぎない。さらに付け加えれば、社内の役割は違うが、人としては皆対等である。こう言うと、上司は部下に対して指示・命令し、管理することが仕事だと反論されるだろう。
しかし、市場が成熟し、変化が激しい今の時代は、チーム全員に光を当て、それぞれの強みや得意な部分が活かせる環境を整えることが管理職の仕事ではないだろうか。現場を一番知っているのは部下であるということを考え合せると、肩書きは、役割分担していると考える方が妥当だと思う。
これはつまり、部下も上司も人として対等に接することになる。ところが、「対等」を実践することは、結構難しい。
「ほめて育てる」「叱る」は、「ほめる」も「叱る」も、上下関係が前提になっていることに気づいた。また、「怒る」と「叱る」は違うと言われるが、不器用な私には区別できない。だから、叱る代わりに、改善すべき部分を言葉で伝えるようにしている。文字では伝わらない。言い方にも気をつけている。例えば「○〇しなさい」は上からモノを言う命令になるので、「〇〇お願いします」「〇〇してくれませんか」「〇〇してくれると嬉しいです」などと言うようにしている。ところが、かみ砕いて柔らかく説明しても、萎縮させてしまうことがある。私の目が吊り上がっているのだろうか。柔らかく伝えるがために、重要性・緊急性を感じてくれないのだろうか、無視されているのか、同じ事を繰り返す人もいる。受け取り方は人によって異なる。相手の反応や返答を注視しなくてはならない。私の場合、何度か伝えて改善されない場合、伝えることを放棄してしまう。それではダメだと反省するが、短気な性格は直らない。
「ほめる」ということも、頻繁にほめすぎると、ほめられないとやる気を無くし、ほめる人がいないと自分の判断で動かなくなってしまう。主体性が欠如する。上手くいったときは、一緒に喜ぶという感覚でいたい。
叱られるのが嫌で失敗を隠すのではなく、隠さずに話して今後の対応の相談をしてくれるような部下と上司の関係が対等で良いと思う。
部下と上司は役割の違いであり、人としては対等であることを前提に接し、社員が活きる環境づくりを目指したい。
日本産機新聞 2022年9月5日
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