2024年11月21日(木)

全機工連全国大会(東京大会)パネリスト3氏に聞く
〜機工商に望むこと〜

 10月26日に東京で開かれる全日本機械工具商連合会の全国大会・東京大会。注目の企画の一つが、開催テーマ「挑戦する勇気」を体現する、著名な町工場経営者3人によるパネルディスカッションだ。江戸っ子1号、コマ大戦、下町ボブスレーの企画者3人が登壇する。政策研究大学院大学の橋本久義名誉教授をコーディネーターに「なぜ挑戦できたのか」、「どんな苦労があったのか」を深く掘り下げて議論する。本紙では全国大会に先立ち、3人にインタビューをした。「挑戦のきっかけは」、「機械工具販売店に望むことは」、「機械工具販売店なら何をするか」など質問をぶつけた。「人の集まるところで商売をする」、「常識を打ち破れ」、「人材教育の場の提供」などの意見が聞かれた。

浜野社長
 1962年、東京都墨田区生まれ。浜野製作所社長。1993年創業者・浜野嘉彦氏の死去に伴い、社長就任。精密板金加工やレーザー、金属プレス、金型を手掛ける。その一方、電気自動車「HOKUSAI」、深海探査艇「江戸っ子1号」でも中核メンバーとして活躍し、近年は、ものづくりベンチャーを支援するためインキュベーション施設「スミダガレージ」を立ち上げ、様々なプロジェクトを支援している。

浜野製作所 浜野慶一社長

仕事の仲介、人育てる場

―江戸っ子一号や電気自動車など、色んなことに挑戦していますが、きっかけは何ですか。 
 「墨田はものづくりの街と言われますが、実は23区内で唯一大学も工業団地もないんです。事業所数もピーク時の3分の1以下の2800まで減り、そんな状況に区も危機感を持ち、墨田区と早稲田大学が包括提携しました。その一環で、2009年に電気自動車のHOKUSAIに取り組んだのが最初ですね」

―その目的は。 
 「何かしてやろうなんて気は全くなくて、HOKUSAIも江戸っ子1号も目的は従業員・社員教育です。高いセミナーを受けるより、現場で学び大学や他社と仕事ができれば教育に有効ではないかと考えたんです。江戸っ子一号も工学部の大学院卒の社員の入社が決まっていて、彼女の教育の意味もありました」

―ものづくりを始めたきっかけは何ですか。 
 「父が町工場を営んでいたのですが、あまり魅力的に思えず、継ぐ気もなかった。別の会社に就職が決まった後に、父と飲む機会があったのですが『ものを作り、お客様に喜んでもらうことに誇りを持っている』と目を輝かせながら話すんです。その姿を見て、これまで思っていたことを情けなく感じました。こんな素敵な仕事ならやりたい、むしろやらなければならないと思った」

―すぐ経営に携わったのですか。 
 「まず板金を学ぶため近くの町工場に修行に出ました。8年後に父が急逝し、会社に戻ったのが95年で29歳の時です。父と会社を支えてきた母も3年後に50代の若さで亡くなりました。悲しい出来事です。しかし、2代目以降は継承の苦労が多いことを考えると、今では自らの死をもって会社を継承してくれたと前向きに受け止めています」。

―その後は順調だったのですか。 
 「もらい火で工場が全焼するなど紆余曲折はありましたが、地域や周りの支援もあり、再興できました。この時、地域に支えて頂いた経験から、経営理念に『地域に感謝・還元』という文言を入れましたし、私は墨田を絶対に離れません」

―しかし都内でのものづくりは地代も高く、難しくなっています。 
 「考え方次第だと思うんです。というのも、東京ほど大学や研究機関が集積している地域は世界でも稀です。この資源を生かすべき。研究機関や大学は研究力は凄いですが、ものを形にする力は弱い。ここに中小企業が活躍できる部分があると思っていますし、実際に様々な案件も手掛けています」

―機械工具商に求めることや、自らが機械工具商なら何をしますか。 
 「単に機械や工具を売るのではなく、情報や事例だとかを提供してほしいですね。他社でうまくいった事例やこういう使い方をしたらいいとか、プラスアルファの価値を求めたいですね。私が販売店なら地域の仕事の仲介役を目指すか、中小企業は人材育成で悩んでいることが多いので、勉強できる場を提供すると思います。いずれにしても人と人がつながることで生まれる価値は必ずありまし、絶対に必要な仕事だと思いますね」。

細貝社長
 1966年、東京大田区生まれ。92年にアルミ加工などを行うマテリアルを設立。11年大田区職員が持ち込んだ図面をきっかけに「下町ボブスレー」プロジェクトスタート。その中核メンバーとしてプロジェクトをけん引。12年に初号機を製作し、冬には日本選手権優勝。13年、ソチ五輪不採用通告。15年二度目の不採用決定。16年、ジャマイカ代表が下町ボブスレーの採用を正式決定した。

マテリアル 細貝淳一社長

専門性磨き極める

―なぜボブスレーだったのでしょうか。 
 「私が創業した1992年と比べ、今の大田区の町工場はピーク時の3分の1の3000社に減っています。お世話になった町工場が厳しい状況にあることも珍しくない。そんな中で、町工場の自分たちの存在価値をPRできないかと考えたのがきっかけですね。航空機で炭素繊維が増えるという予想もありましたし、大田区で手掛けている会社もない。だから炭素繊維で何かできないかと思ったんです。技術力をアピールするには、世界最高の場であるオリンピックがあるじゃないかと。オリンピックで炭素繊維を使いそうな競技がボブスレーだったんです」

―未知の世界に飛び込むには勇気が必要です。 
 「考えてみてください。F1や航空機など部品加工では日本の町工場の技術は世界最先端です。200点あまりの部品のボブスレーが作れないわけがない。できない理由を考えるより実現するプロセスを考えたほうが楽しいじゃないですか。お金がないなら出資者を探せばいい。自ら加工してお金をかけなければいい。下町ボブスレーにはそういう志に共鳴してくれる人が多いですね」。

―若い人にも勇気を与えたと思います。 
 「そうですね。何より社員に夢と誇りを持ってもらいたかった。町工場で働く人は子供に何をしているか聞かれた時、答えづらい。それが『ボブスレーで世界に挑戦してるんだ』と言えればかっこいいし、働く人間も誇りが持てる」

―過去には不採用通知を受けるなど厳しいことも多くありました。 
 「怒りがなかったと言えば嘘になりますが、真価が問われる時だと思いましたね。ところで負けない方法って何だと思いますか。続けることだと思うんです。失敗はあっても成功するまで続ければ負けはない。何年かかろうがオリンピックに出るんだという仲間との志があったからこそ続けられてきたと思います」。

―製造業の創業社長は近年では珍しくなっています。後継者へのアドバイスがあれば。 
 「各社状況が異なるので一概には言えませんが、言い訳しないってことですかね。覚悟に近いかもしれません。創業者は思いがあって会社を興しているわけです。2代目はそうとも限らない。であれば創業者は思いを伝える必要もあるし、逆に継ぐ側は自らこんな会社にしたいと議論したうえで、思いをつないでいくべきだと思いますね」。

―機械工具商に期待することや、自らが機械工具商なら何をしますか。 
 「工具販売って保険販売と似ていると思うんです。どこに行ってもお客さんがいるわけですから。情報は入ってくるし、究極のビジネスマッチングができるポジションにいると思いますね」。
「僕が小規模の販売店ならば圧倒的な専門性を磨きますね。『この工具使ってください』なんていう提案ではなく『効果は絶対に得られます』と言い切れるほど技術力を持とうとすると思う。後は、下町ボブスレーの参加企業へ一括購買を申し込むかな。結局、人が多くいる場所で商売しないと成長はないと思う。勝手な意見なので間違っているかもしれない。けれど、間違っていてもやってみて気が付くこともあると思います。やらないよりやったほうがいいに決まっていますから」。

緑川賢司社長
 1967年生まれ、神奈川県横浜市出身。全日本製造業コマ大戦協会会長。大戦の企画母体であり審判を務める製造業経営者集団「心技隊」元隊長(現在は未加盟)。木型モデル加工・3次元加工等を手掛けるミナロ代表取締役。2011年、コマ大戦を発案し「心技隊」に企画提案。12年に第1回全国大会、13年ボリビアで初の海外大会を開催。17年には全日本、20年には世界大会を開催予定。年間50場所(大会)、地方イベントも含め、これまでの参加団体は1500組を超す。

ミナロ 緑川賢司社長

常識打ち破る覚悟

―コマ大戦を始めた理由は何ですか。 
 「町工場特有の閉鎖的な空気を変えたかったから。日本の町工場はいわゆる下請け気質で、自分たちから発信することや、新しいことに挑戦しようという考えになりにくい。前身の会社も大手メーカーに依存しすぎ、景気の落ち込みと同時に廃業してしまいました。だから、ミナロを立ち上げるときにはオープンなやり方に変えようと、『BtoC』、『情報発信』、『連携・連帯』の3つのテーマを掲げて会社をスタートさせました。ウェブを使って自社の情報を発信したり、数社と連携して展示会に出展したりと様々なことに挑戦しました。その甲斐あり当初3社だった取引先が、現在3千社以上にまで増やすことができました。コマ大戦は、こうしたノウハウを自分たちだけではなく、町工場全体で共有し、みんなで一丸となり取り組みたいと思って始めた企画です」

―どうしてコマだったのでしょうか。 
 「その質問はよくされますが、とくに理由はありません。たまたま、ある会社が海外の展示会で自社の技術力をアピールするために、コマを作っていたのを見て閃いたんです。だから、コマ大戦の規約に『強いコマづくりを追求する』というような文言は一切入っていません。目的はそこではなく、町工場が協力し一体となり、全国、世界に日本の町工場を発信することにあります」

―今後、連携は重要になるでしょうか。 
 「今の時代、うち1社だけが生き残るなんてことはあり得ません。今までのようにいかに安く多く受注するかを競っていてはお互い首を絞め合うだけです。今後ますます『オールジャパン』での取り組みが不可欠になってくると思います」
 「私自身もコマ大戦以外に、新会社を4月に設立しました。町工場と町工場をつなげて何かを作り上げるコーディネーターのような役割を担う会社です。昔は大手メーカーがそうした存在でしたが、今はほとんど海外に移ってしまいました。それを我々が情報を町工場に持っていき、そこで出来たものを国内外に発信します。そうすることで、世界でも日本の町工場の存在感を示すことができると考えています」

―機械工具商に求めることはありますか。 
 「日本の製造業が生き残っていくには変化しなければなりません。コマ大戦でも、コマを製作したのをきっかけに、一般消費者向けの商品を開発して成功している企業もあります。機械工具商でもそれは当てはまるのではないでしょうか。業界の常識にとらわれていては前には進めません。常識をうち破る覚悟が必要だと思います」

―もし、機械工具商だったら何をしますか。 
「人がたくさんいるところで商売をするのではないでしょうか。コマ大戦でも、ネット通販で競技用のコマを販売していますが、普段の売上はだいたい月30万円くらいです。しかし、イベント会場で販売すると、1日でその何倍も売れます。要は、買ってもらえる雰囲気づくりが大切なのではないでしょうか。そういう場が作れれば、新たなビジネスの可能性が生まれるかもしれません」。
 

日本産機新聞 平成28年(2016年)6月25日号

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