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鳥羽洋行 遠藤 稔社長「創業120年、信用第一主義を貫く」【この人に聞く2026】
9月15日に創業120周年を迎える鳥羽洋行。1906年に中国で創業し、戦後は国内で「第二創業」とも言える形で事業を再興し、空圧機器やFA装置を中心に、日本の高度成長期を支えてきた。90年代以降は卸部門を縮小し、直需商社にビジネスモデルを変化させるなど時代に合わせ、歴史を積み重ねてきた。「『信用第一主義』と『日本の製造業の発展に貢献する』という根幹は変えない」と話す遠藤稔社長に過去を振り返ってもらうとともに、鳥羽洋行の目指す姿について聞いた。

–創業120周年を迎えます。
当社は1906年、鳥羽真作氏が中国・大連で創業した。創業者は日露戦争に従軍し、戦後は中国に残り、南満州鉄道に物資を供給することで成長。全盛期にはメーカー部門を所有するなど、日本人500人、中国人2000人、総勢2500人の従業員を抱える規模だったそうだ。
–その後は。
真作氏はスペイン風邪で早世したため、甥で二代目社長の鳥羽実氏が継いで事業を拡大した。しかし、第二次大戦後は資本没収され、従業員と帰国し、現在の鳥羽洋行を再興した。当時は油圧機器や機械工具の扱いがメインで、不二越の代理店などをしており、その後は今も扱いの多い空圧機器などに拡大していった。
–高度成長期の頃ですね。
「空圧の鳥羽」と言われていたこともあったようで、焼結金属工業(現SMC)、小金井製作所(現コガネイ)など空圧機器メーカーの代理店として、事業を拡大した。空圧がメインだったが、85年にはヤマハ発動機のロボットの第一号の代理店になるなど、FA関連に着手した。現在の「FAの鳥羽」の礎はこの頃にできたのだと思う。
–90年代くらいからは直需に舵を切りました。
当時「持たざる経営」を掲げたのが3代目社長の鳥羽暢(とおる)氏。振り返って考えると、高度成長期が終焉を迎え、在庫をメインに扱う卸ビジネスの収益性が低下していたのだと思う。ユーザーに直接販売することで、付加価値を提供できると考えたのだと思う。
–卸から直需への変化は簡単ではありません。
地方は直需が多く、ゼロからではなかったので、そこまで難しくなかったように思う。とはいえ、完全に変化するには10年近くかかった。
直需商社には技術的な知見は欠かせない。技術力の強化は必須で、当時から空気圧装置組立て技能士の資格取得は推奨してきた。現在は全営業の90%が有資格者で、メーカーの技術資格を持つ人も多い。その技術力が今に活きていると思う。
–その一つとして、自動化などの「装置ビジネス」を拡大しています。
いつの時代でも顧客の困りごとを解決できる頼られる存在でなければいけない。自動化で困るユーザーが多い中で、SIerとユーザーとのコーディネートする役割が必要。その役割を担うことで、製品単品ではなく、装置全体での提案を増やしていく。現在は売上の20%程度だが、その比率を高めていきたい。
–将来の鳥羽洋行の姿をどう考えますか。
当社の行動規範に「信用第一主義」がある。これはどれだけ時代が変わっても不変の考え方ですし、継承していく。また、企業理念の一つに「最大ならずとも、最良の会社たることを期する」と言うのがある。いたずらに規模を追わず、直需商社として日本の製造業に貢献していくことがこれからも変わらない役割だと思う。
えんどう・みのる
1981年鳥羽洋行入社、2004取締役第三ブロック営業部長、08年鳥羽(上海)貿易有限公司総経理、16年常務取締役営業本部長、22年代表取締役社長。福島県出身、67歳。
日本産機新聞2026年9月5日号
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